【書評】僕たちはまだインフレのことを何も知らない②

面白かった箇所の抜粋(続き)

  • インフレが隠れた税金として有効であると言う究極の証拠が、戦時中にある。内戦であれ国家間の紛争であれ、軍事支出の増大と、それに伴う民間支出の減少は、貨幣を印刷し、インフレ率の上昇を促すことで簡単に実現できる。
  • インフレの時期には、いわゆる実物資産に投資するのが最善策であると言う主張を度々耳にする。この主張は正しいが、あくまでも相対的な意味での話だ。それはインフレが債券や現金に対して及ぼす壊滅的な影響を物語るものであって、その他の実物資産の絶対的なメリットを物語っているわけでは必ずしもない。(中略)負債はインフレによって目減りするが、いわゆる実物資産の価値は上昇しただろう。こうしたチャンスを生かすのに最も有利な立場にいたのは、マイナスの実質金利と急騰する名目所得の両方によって住宅ローンが目減りしていく新規の住宅購入者層だ(もちろん増加し続ける失業者層に自分が加わらずに済むのならの話だが)。一方で、最悪の立場にいたのは、現金貯蓄の少ない賃貸住宅の居住者や、職場での交渉力に乏しい人々だ。例えば、貧しい年金受給者、労働組合に入っていない労働者、なんらかの給付金に耐える人々など、一般的には社会の弱者たちである。
  • イギリスの所得税の最高税率は、1973年75%から、75年には87%に引き上げられた。ここに25%の不労所得税が付加されたため、イギリス社会の最高所得者たちは、所得の1部に対して98%と言う限界スレスレの税率を化される羽目になった。これを受けて、ショーン・コネリーやデヴィッド・ボウイなどの高所得層は、アメリカに移住した。彼らのことを、国が絶望的な経済的苦境に陥っているときに、税金逃れのために国を捨てた自己中心的な人間だと非難するのは簡単だ。しかし、たとえそれが事実だとしても、それは間違いなく最大の結論とは言えないだろう。インフレの悪化を見過ごすことが真の原因である。結果的に、不公平さについての社会全体からの不満、そこからの厳しい税政策から、多くの副作用が生まれた。その1つの象徴は、巨大な租税回避産業の誕生とも言えるだろう。
  • インフレの悪化が度々見過ごされてしまう理由の1つは、インフレの代償が表面化するまでの時間差にある。インフレをぴったりと停止させるのは、金利の上昇、ことによると景気後退と言う形で、即座に代償を伴う。しかし、だからといってインフレを持続させれば、長期的にいっそう大きな代償をこうむる可能性が高い。インフレは、やがて社会の構造そのものを蝕むからだ。しかし、インフレ抑制を担う人々(政治家や政策担当者など)は、まるで言葉による説得だけでも効果があるとでも言わんばかりに、賃金設定や価格設定に関する勧告に頼ることが多すぎる。
  • 2022年イングランド銀行総裁はこういった。「賃上げの抑制が必要だ。確かに痛みを伴うが、このインフレの問題を一刻も早く乗り切るためには、どうしても必要なことなのだ」一方で、これに対して労働組合のトップはこう反論した。「労働者がインフレやエネルギー危機を引き起こしたわけでもないのに、なぜ労働者がその報いを受けなければならないのか?」少なくとも2022年のこのやりとりだけを見れば、1970年代の言葉遣いが現代に戻ったように見えてならなかった。
  • インフレから人々の所得や富を守るために、(補助金の給付等)直接的な行動をとるのは、時として政治的にも道義的にも必要なことなのかもしれないが、それは対症療法にしかならないことが多い。さらに、根本原因を無視する期間が長引けば長引くほど、救済するためのプロセスに係る費用は、膨れ上がっていく可能性が高い。
  • インフレはゆっくりと密かに忍び寄る敵と表現するのが正確だろう。その1つの理由は、政策立案者たちには、インフレ対策(金利引き上げ、増税など)が痛みを伴うかもしれないことがわかっているからだ。そのため、短期的に見れば、インフレを例えば外的なショック(戦争によるエネルギー価格の高騰など)が何かのせいにして、それ自体、インフレ抑制にとって何の効果もない行動(補助金の給付等)を自分の手柄にする方が簡単なのだ。その結果、悲しいかな、インフレの根本原因を放置して、インフレが中期的に持続する可能性を高めてしまう結果となる。
  • 古代ローマ帝国時代のインフレについて。西暦300年に「最高価格令」と言う商品や労働についての最高価格を定めた法令が発令された。この時代の過剰なインフレが起きた原因は、ローマ帝国が領土拡大のために戦争を延々と続けており、戦費調達のために硬貨を改鋳していたことが大きな要因だったと考えられる。しかし、当時の皇帝とその取り巻きたちは、インフレの原因は通貨の劣化とは関係がなく、むしろ貪欲な投機家たちのせいだと結論づけた。しかしこの政策は成功しなかった。死刑で警告しているにもかかわらず、農民たちは当然ながら法律で定められた市場価格以下で自らの生産物を売ることを拒み、そうして生じた不足は、食料危機・食料暴動を引き起こした。当然、賃金の上限を課された職業はますます不人気となっていき、労働力不足が生じたため、職業の強制的な世襲(農奴など)と言う形で対応された。
  • インフレが通り雨のようなものなのか、長期的なひどいものになりそうなのかを見極める必要がある。4つの基準で見極めることができると考えられる。(1)インフレ圧力を高めるような制度変更はあったか。(2)インフレリスクの高まりを示すような過剰な通貨拡大の兆候はあるか。(3)今回のインフレは外的なショックが原因であるなどの議論を通じて、インフレリスクの高まりが矮小化されているような状況はないか。(4)供給サイドの状況が悪化していないか。
  • インフレは、債権者が罰を受ける一方で、債務者が得をするメカニズムだ。どの経済でも、最大の債務者の1つは、普通は政府であり、インフレは袋小路のような財政状況から抜け出す魔法の手段になり得る。
  • 量的緩和などの緊急金融対策は、政策決定分野の定番の特徴となり、例えば将来的なインフレ率上昇の「早期警戒サイン」を発する国債市場の役割を弱めてしまったように見える。
  • 民主的に選出された政府は、インフレの誘惑に逆らえない。貨幣の印刷は、増税や支出削減に代わる手段になる。特に、政策立案者たちがインフレを「制御不能な要因」のせいにしたがることを踏まえると、紙幣発行は短期的に人々の貯蓄を奪い取る密かな手段だと言っていい。
  • 持続的なインフレの根本原因が、必要以上に緩和的な金融政策のせいだとしたら、どれだけ補助金を注ぎ込んだところで、問題は抜本的には解決しない。もし政府が賢明なのであれば、インフレにより生まれる勝ち組と負け組を予想して、負け組の人々に一定の埋め合わせを与えられるかもしれないが、こうしたプロセスは、多分、政治的に声の大きい集団に「乗っ取られる」だけだろう。したがって、我先に列の先頭に割り込んでいけるような厚かましい人たちを支援してしまうよりも、利上げや増税でインフレの根本原因に対処する方がはるかにマシだろう。

所感など

  • 当たり前だが、イギリス人経済学者の視点で書かれており、インフレの経験値に乏しい我々日本人が見落としがちな思考をしているところが面白い。
  • 作者が指摘しているようなインフレが日本でも今起ころうとしてるような印象。国民世論的に増税は非常に難しいし、日銀の金融緩和はしばらくは続きそう。インフレはロシアの戦争のせいだと言う論調もある。その一方で、少子高齢化や働き方改革で労働力不足が進んでいるので、失業率は上昇していない。
  • 古代ローマ時代の価格・賃金統制のエピソードで連想したのは、介護業界。政治力も弱く、賃金がある程度国に決められているので、インフレについていけず、働き手がどんどんいなくなっている印象。ニセコとかだと観光業に人がどんどん流れて、介護は崩壊していると聞く。この先どうするんだろう。外国人労働者も、これだけ円安だと来てくれないだろうし。
  • 貧富の差はどんどん拡大していくのだろう。そうすると、富裕層の間で、どんどん資産効果が起こって株価と都心部の不動産価格はどんどん上がっていくように思う。
  • この本の論調に沿って考えると、国が企業に働きかけて賃上げを要請していると言うのは、インフレを加熱させてしまう愚策とも見える。
  • この著者は明らかに「住宅ローンを借りて家を買うやつは勝ち組になるチャンスがある」と書いているが、アメリカの場合で言うと、金利がとても高いので、なかなかみんな家が買えない状況(かつ、みんな固定金利で借りていて、低金利で借りた人は借り換えを伴う買い替えをしないから、中古住宅が非常に供給されず、値段も高騰している)にもあるようで、そことの比較感では、日本の不動産価格も10年前より大幅に上がったとは言え、まだまだ超低金利でもあり、サラリーマンがマンションを買うには比較的恵まれている環境と言えるのではないか。
  • インフレが通り雨で済むのか長期的になってしまう中を見極める。4つの記事のところは面白かった。以下、日本のケースで私なりに考えてみたい。

(1)インフレ圧力を高めるような制度変更はあったか

最近の働き方改革(労働、コストアップ)とか、省エネ法(建築関係だと、断熱性能とかを結構コスト上げて向上させないといけない。)とかは、インフレ圧力を高める方向の制度改正だと思います。

(2)インフレリスクの高まりを示すような過剰な通貨拡大の兆候はあるか

兆候というか、黒田日銀総裁以降、10年以上ずっとやってますね。今の植田日銀総裁も、緩和的な金融政策は当面は継続すると言う方針のようですね。

(3)今回のインフレは外的なショックが原因であるなどの議論を通じて、インフレリスクの高まりが矮小化されているような状況はないか

とりあえずみんなコロナによるサプライチェーンの混乱とウクライナ戦争によるエネルギー価格の高騰のせいにしてる感ありますね。

(4)供給サイドの状況が悪化していないか。

少子高齢化や働き方改革で労働力不足は悪化傾向だと思います。円安で製造業や観光業が強くなってるのはいいですけど、それも労働力不足にインパクトが大きいと思います。