【書評】伝説のファンドマネジャーが見た日本株式投資100年史

概要

1960年に今で言うコスモ証券に新入社員で入社して、それから長年証券業界で働いてきたおじいちゃんが書いた本。この人自身の投資の考え方は全然参考にならないが(テクニカルとか好き)、昔のことをいろいろ書いていて興味深い。

時代ごとに目立った株式購入主体

戦後すぐは、個人投資家がインフレ対策等で結構投資信託を買っていた。

高度成長期の後半(1967年から1970年頃)は、海外の投資家の投資比率が上がってくる。そして、海外の投資家の投資判断が、日本にはそれまでなかったPERを物差しにしていたとのこと。

1970年代から、事業法人と金融機関の取得比率が非常に高くなる。株式持ち合いがこの頃から本格化したということ。

1980年代後半からの株価のバブルの際に、1番株を買ったのは、事業法人と金融機関。その反面、比率を下げたのが、個人と外国人投資家。

→ここからなんとなく感じられる事は、バブルが起こるのは、他人の金を預かった人が、一定ボリュームの投資をするのを義務化された仕事をやるときなのかなと。

1970年代前半

1971年のニクソンショックで景気は冷えるが、1971年から1974年にかけて田中角栄が首相となり、建設投資等でバブル感が出てくる。商社が不動産と株を買いまくる。

日銀は72年6月に4・25%まで引き下げた公定歩合を、73年4月から12月まで、5回に分けて9・0%にまで引き上げたとのこと。

1973年、オイルショックによるマンション価格の高騰

以下のような記載がありました。

「私事だが、ヨーロッパ出張の前に10%の手付金を入れてマンションを買っておいた。オイルショックで流し台、浴槽をはじめ建築資材の高騰や人件費の高騰があり、半年後に引き渡しを受けるときにはマンションの価格は50%も上がっていた。74年の春闘は32%のベースアップだったと報道されている。まさに「狂乱物価」であった。」

→最近のコロナ・ウクライナ戦争の流れに少し似てますね。

1980年代前半、少しバブルっぽくなってくる

都心に工場を持っている会社が、公害問題で工場を郊外に移転させる関係で、都心にどんどんマンションが作られ始める。デベロッパーの株価などが上がっていく。ウォーターフロントに土地を持っている東京電力や東京ガスなどの株価もどんどん上がっていく。

1985年、プラザ合意が起こり、円高が進んでいく。それを受けて、日銀は公定歩合を大幅に下げる。株価もバブルに向かっていく。

バブル崩壊に向かった引き締め政策等

「日銀は87年2月から2年3カ月の間、2・5%の低金利を据え置いた後、89年5月に3・25%、10月3・75%、12月4・25%に引き上げた。  さらに90年3月には5・25%、8月6・00%と矢継ぎ早に5回の引き上げを実施した」

→今のFRBみたいな感じでガンガン売り上げしたんですね。

1990年3月に総量規制が発表され、それが引き締め効果が強すぎたため、1991年12月に解除される。しかし崩壊は止まらなくなってしまう。

日経平均株価は2003年の7600円まで、14年間下げ続けることになる。

株式保有比率の変遷

1989年から2018年にかけて、比率は以下のように大きく変わる。

金融機関40%→21%

事業法人30%→22%

個人  21%→17%

外国人 4%→29%

投資信託4%→8%